天台密教僧の天海(天台宗の僧・南光坊天海)
【四神相応の江戸の都を築いた 天海】
日本では古くは、平城京・平安京など四神相応の都とされていますが、江戸の都も四神相応の理想の土地を目指しました。
四神相応とは、高松塚古墳などに画かれている四つの方位を司る四神獣の 東に青龍・西に白虎・南に朱雀・北に玄武 にふさわしい地形や土地のことをいいます。
天台宗の高僧、南光坊天海は、四神相応にあたる土地として江戸を定め江戸城を中心として鬼門に寛永寺を裏鬼門に日枝神社、北に日光東照宮、南に増上寺を配置し国家鎮護の都としました。
その南光坊天海は謎めいており、氏素性も年齢も分からないが祈祷力は抜群で、徳川家康・秀忠・家光の三代に仕え、天海は明智光秀だという説まであるくらいです。
天台密教僧の天海は各宗派で23人しかいない大師号「慈眼大師」をも持っております。
徳川家康が、豊臣家に因縁をつけた「国家安泰」も天海の知恵であり、豊臣家の家臣が最終決戦前に次々と死んだのも、日光東照宮で家康を東照大権現(豊臣の大明神ではなく)として祀ったのも天海によるものだといわれます。
天海が作ったとされる「山王一実神道」の秘法は、徳川家の基礎を作りその後は悪用されるのを恐れて封印されたともいわれます。